◆「調布わくわくステーション」 2008年9月26日のお客さま◆
ツアーコンダクター歴35年の | 杉山 忠男 さん |
杉山さんの笑顔は実にいいです。一度お会いしたら忘れられません。
今の若い人には想像できないかも知れませんが、戦後日本がとても
貧しく、慢性的な貿易赤字に苦しんでいた頃は、海外へ行くことも、
円からドルへ両替することも、自由ではなかった時代がありました。
杉山さんのお話によりますと、海外観光旅行が自由化されたのは
1964年、東京オリンピックの年だったそうです。でも、1ドルが360円
の時代ですから、日本人にとって海外の物価は現在のおよそ3倍で、
しかも収入は、大卒の初任給が3万円に満たなかったそうですから、
海外旅行は庶民にとっては高嶺の花だったそうです。
1970の大阪万博の頃から大型のジャンボ機が就航し、輸送コストが
大幅に低下。71年に円の切り上げがあり、73年には為替レートの自由
化が行われ、すぐ円は200円台に突入。日本人にとって、やっと海外
旅行が身近になり始めました。
英語が堪能だった杉山さんは、航空旅行部門に移ることになり、丁度
大阪万博目当てに海外から見えた旅行者の案内で、大忙しだったそう
です。ところが、異動数ヶ月後、団体さんの海外ツアーの添乗員を命じ
られることになります。海外へ行ったこともなく、飛行機に乗ったことも
なかった杉山さんが、です。命じた人も、受けた人も、勇気ありますね!
当時は、まだガイドブックなど売っていません。きっと、地図やホテルの
資料、分厚い航空時刻表などと首っ引きで事前調査し、あとは、先輩に
ノウハウを伝授して頂く。きっと、あの笑顔があるから出来たのでしょう。
出発の当日、空港の一室に全員が集合して”結団式”です。コンダク
ターは、団員の信頼を得られないと上手く統率できません。杉山さんも
現地のことには精通しているような顔で、旅行上の注意や現地の治安、
テーブルマナーやチップなどの説明をされたことでしょう。でも、新人コン
ダクターさんには思わぬ失敗談もあったようです。放送ではとても愉快な
お話や苦労談など、披瀝して下さるそうです。
「海外旅行なんて嫌い」と言っていた奥さまを、ある時、「一度くらい」と、
”カナディアンロッキーとナイアガラ”の旅に無理に誘ったのだそうです。
ところが、これで奥さまが旅行の楽しさに目覚め、以後10回もご夫婦で
出かけることになったそうです。最近は「主人は留守番」と、パッケージ
ツアーに友人と参加する奥方も多いのですが、杉山さんと一緒なら、
奥さまも安心で楽しい旅を楽しめたのでしょう。
日曜日には、ツアコン35年のエッセンスを、お聞き漏らしのないよう、
お楽しみください。
written by yaji