66年前、学徒動員で広島の爆心地から2kmの工場で働いていた
田邊さんは、昭和20年8月6日の朝、窓から外を見ようとした瞬間に
被爆してしまいました。“太陽が破裂”したような閃光と建物が一瞬で
吹き飛ぶほどの烈風。まさしく「ピカッ、ドン」だったそうです。
工場にあった薬品を調合してやけどの薬をつくり、自分に塗ってみて、
薬をバケツに入れて街へ持って行き、途中で見た余りにも悲惨な
人々の光景が脳裏に焼きついたそうです。爆炎で黒くなった人、血で
赤くなった人、死体、うめくひと、皮膚は垂れ下がり幽霊のように両手を
前に出してぞろぞろ歩く人、人・・・
ご自身も放射線を浴びたので沢山の病気を経験しています。白血球の
減少による化膿と白血球激増による赤血球破壊からくる貧血症、
肝硬変、前立腺肥大や気管支喘息、そして大腸がん・・・
見たことを田邊さんは沢山の絵に描いています。原爆や戦争の悲惨さと
愚かさをあちこちで訴え、本も書いていらっしゃいます・・・このことを
若い人たちにぜひ、ぜひ伝えたいと。
田邊さんに関する沢山のことがインターネットでわかります。どうぞ
「田邉俊三郎」で検索し、ご覧になってください。