18才で満州へ渡った 保澤 榮子 さん  
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18才で満州へ渡った 保澤 榮子 さん

1943年秋、出張で帰国した関東軍の将校の紹介で、保澤さんは単身満州に 渡り、関東軍の司令部で製図の仕事をされたそうです。18歳の時です。そこ ではタイピストなどの若い女性が100人ほども働いていたし、本国は物資が 窮乏していたのに、軍の力が強かった現地では、物は豊富で、のんびりと 青春を謳歌できたようです。1943年にはアッツ島玉砕があったり、イタリヤが 連合軍に降伏したり、すでに日独側の劣勢が明らかになり始めた時期なの ですが、多くの日本人にも、もちろん満州の若い女性にも、正しい戦況は 伝えられていなかったのですね。

そして突然、1945年8月9日にソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦。 夜、ソ連軍機の落とした照明弾が真昼のように明るく街を照らし出したのに 保澤さんたちは心底から驚かされたようです。

この日を境に、撤収、敗戦と大変な日々が始まり、平壌で抑留。凍った大地を 掘って何人もの日本人の死体を埋めるような悲惨な体験などを経て、1947年、 やっと故郷広島に戻られたそうです。原爆から2年後、ぽつぽつと建物が建ち 始めた頃で、保澤さんにやっと「戦後」がやって来たようです。

若い女性の稀有な戦争体験のお話し、どうぞお聴き下さい。なお、保澤さんは、 6年前から、娘さんが住む調布で暮らしていらっしゃいます。

 written by yaji

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